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パーソナリティー


小学生の頃
小さい頃からいろいろ作るのが好きでしたが、どちらかというと動くものの方が好きで、お小遣いのほとんどは車や戦車のプラモデルに消え、よく母親に叱られてました。きれいに仕上げるより動かして遊んで壊して駆動系を取り出し、厚紙やバルサ材で作った車体に転用したりしてました。小学生のとき、大人になったら何になりたい?という課題に「自宅で修理やたまに発明なんかしながらのんびり暮らしたい」と書き、先生に「子供らしくない」と一蹴されたり、絵を描けば俯瞰図(遠くからみんなが遊んでいるのを眺めている)で、消極的な子供だったです。

なんで発明云々かというと、当時ロボタン(だったかな?実写)という番組があって、ここのオヤジがそんな暮らしをしていたんですね。頼まれた電気座布団の修理を放ったらかして、尻に敷きつつ別のものを作るのに熱中してて、近所のオバちゃんに「もうええわ!」と言って引っこ抜かれてコケるという・・・なんかノンビリ暮らせていいなあと思って。そんだけ担任がイヤで疲れてたんでしょうね。


お勉強
物覚えが悪いので掛け算九九やローマ字がどうしても覚えられず、毎日のように忘れ物をして叱られていました。小学校6年間とも担任はみんな嫌いでした。僕に自信を与えてくれたのは理科部の先生で、機材の準備や実験も信頼して任せてくれました。また音楽の先生も歌を認めてくれ発表会にソロで出してもらったり、図工も得意だったので専任の先生にかわいがられました。得意分野に絞って他は捨てるという生き方を自然と身につけたようです。

その後もわけもなく記憶する科目は全然ダメでした。英語は文法や単語が、化学は記号が、社会は年号や地名が、数学は微積分の手計算が憶えられなくて捨てました。英語なんかずっと赤点だったので、大学3年の再履修+追試でようやく単位もらったという有様(オイオイ・・・)。
得意だったのは国語と物理。漢字は象形文字なので意味があるし、文章読解力はあったのではOK(ただし当て字の難解な読み方は捨てた)。物理は現実の現象と一致するのが面白くて。電磁気学やらフーリエ変換など微積分が絡むものは、あまり出来はよくなかったですが、今ではLabVIEWが助けてくれます。


クラブ活動
小学校では科目が好きだったので理科部。6年のとき部長をやって、クラブ紹介で全校生徒の前でマイクを握りました。そのとき言ったのが「クラブは何か教えてもらうんじゃなくて、自分でやりたいことを見つけてやるところです。」ひょえ〜(^^;)

中学校では小学2年からずっとやっていた剣道部に入ったんですが、結局腕力勝負(ないと竹刀が速く動かせずに負ける)なので半年で辞めました。この後バスケやサッカーなどの肉弾戦競技はあきらめました。ちなみに中学3年生のときから体重は変わってません。
続いたのは技術部。スピーカーボックスなどの木工や、電子工作に明け暮れていました。

高校ではしばらく帰宅部やってましたが、そのうち虫が騒ぎ出して理科部へ。そこで爆弾作ったり(ウソ)、文化祭向けに有線リモコンのヘリコプターのオモチャ作ったりして遊んでましたが、2年のときなぜか新聞部を作ろうということになって、顧問の先生頼んだり、ガリ版刷りで文章書いたりしたのが文章力のアップに役立ったように思います。

大学では真っ先に無線研究部のオーディオ班へ。ここで先輩に電子回路設計を習って本格的にアンプを設計し始めたところ、どんどんのめり込んでオーディオ班の班長をやって、研究室では先生にアナログの神様と言わしめ・・・。
芝浦工大はアマチュア無線のコンテストに強かったので夜中に借り出されてサブオペやったりもしましたが、うっかり寝ちゃうと体にラクガキされたり妙なブレンドドリンク飲まされたり・・・(x_x;)まあ楽しい思い出です。

会社に入ってから同期の友達に誘われて、スキーやテニスを始めました。テニスはなかなか上手くなりませんでしたが、スキーは面白くて(対人勝負でないところも気に入って)のめり込み、今ではスキークラブに入って準指導員資格を取り、年に何回かスクールを受け持っています。レッスンは「わかりやすい」との評判をもらっています。


就職先
英語落第なのに、何で外資系の会社に入ったかというと、英語のことは全く考えていなかったというのが本音です(^^;)。最初は社名も知らなかったですが就職先一覧をパラパラめくって見つけました。大きい会社で埋もれるのはイヤなので初めからパス。ソニー系で給料はそこそこ良かったし、計測器はいつの世でも必要だろうということで、先生に先輩を紹介してもらって訪ねたところ、明日入社試験をやるから、ってことになって(えええ?〜)・・・何の準備もないままとりあえず英語と専門(電子回路)の試験を受けました。

後で面接官に「英語できてないねぇ」と苦笑されたくらいダメだったようですが、それでも受かったのはバブルのときで採用人数が多かったこと、専門はほぼパーフェクト(回路設計できるんだから屁でもない)だったのと、卒論のプレゼンテーションが良かったおかげかなと思ってます。そお言えば大学進学のとき電気系は就職があまりよくなかったのですが、かまわず進んだら、卒業時は良くなっていたというラッキーな面もあります。

入社してから、なんと半年間がトレーニング。そこでみっちり計測に関するスキルを教え込まれました。当時は儲かっていたとはいえ、いい会社でした。配属先は期待に反して営業で、最初の頃は先輩に付いて外回りするのですが、行き先がないときは1日中オシロスコープの英文マニュアルの翻訳をさせられました。とっても困りましたが、技術米語は比較的わかりやすいことに気がつき、その後英文マニュアルはなんとか読めるようになりました。

時々トレーニングでガイジンが来るのですが会話は全くダメ。ナイストゥミーチューで終わり。講義は10%もわからないのでスライドの配布物からわかる技術単語を拾って内容を予想するしかないわ(でもだいたい合ってるんだよな)、TOEICはエンピツ転がした確率より低い300点以下だわで、もうタイヘン。でも普段は英語使わないし、一応ガイジンに慣れることはできたかな。はぁ〜・・・

その頃の営業職は計測技術のコンサルタントだったので、客先でのデモはもちろん、セミナーも自前で資料作ってやってました。展示会ともなればデモ用機材を作ったりも当たり前。時々イヤな資材部の客もいましたが、まさに天職とばかりに熱心にやってました。実際優秀な営業(自分で言うしかない)でしたが、この頃のスキルを持って会社辞めたとしても他ではツブしがきかないとも思っていました。そのうちPCプログラムを覚えて計測システム部に引っ張られたのが転機になったのです。(その話はまた改めて)


性格診断
左脳(論理)か右脳(直感)かで言えば、両方使えますがどちらかというと左脳寄りです。ロジカルに組み立てて説明するのが得意です。ただウルトラ級の一点集中型なので視野が狭いです。道を歩いていて知っている人とすれ違っても気がつきません。ホントに気がついてないので無視したと言って怒らないでください(^_^;)。
情緒安定度と人生の楽観度が高く、よく人と馴染みますがベタベタしません。些細なことにも満足感(幸せ)を感じられる素直な性格です。理不尽な圧力がかかると戦闘態勢に入ります。

「左右の脳の使いグセからみた思考パターン」はヒューマンセンサーシステム(HS)による電気的な測定結果に基づくものですが、実際にぴったりと当てはまるのでそのまま活用させてもらっています。
左右脳の使いグセと集中の仕方により13パターン程度に分類し、タイプ別に無意識下における好ましい環境、ストレスの出やすい状況、適職、他のタイプとの相性などが説明されているので、それを理解した上で上手い活用方法や適応方法を導き出します。最初は船井総研で適性検査のために開発されたものですが、今では人生を自分らしく生きるための勉強会になっています。私もHS結果によるカウンセラーの技術を学んでいます。


その他
弱点は酒が飲めないことです。宴会には参加しますが割り勘負けします(+_+;)。カラオケでは歌いまくるのでヨッパライだと信じられていますが、あれは芸です。また167cmの身長に対して体重が49kgしかないので体力勝負では勝てません。スキーは1日中滑っていてもへいちゃらですが、テニスは長丁場になると疲れて負けます。
ほとんど白髪です。脱色したのとはまた違う銀髪なので結構目立ちます(^-^;)。


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